成績UPの鉄則

空洞化する卒業証書

昨日に引き続き、日経新聞の一面に教育に関する記事が掲載されていました。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO60511240T00C22A5MM8000

記事の要約は…

大手機械メーカーのクボタは、若手社員の学力低下を懸念し、
基礎的な問題をテストしたところ正答率がわずか22%だったことから、
新入社員向けに「学び直し教育」を開始。

事実上、全入状態の大学入試はAO入試、推薦入試などによる実質的な入試の軽量化が進み、
進学実績を伸ばしたい高校側がそれを迎合。
高校レベルの実力に満たない大学生が増え、補修授業が増加。
更にそのツケが企業にまわっているのが先のクボタの例。

教育業界に「七五三」という言葉がある。
高校生の7割、中学生の5割、小学生の3割が学校の学習内容に充分についていけていない、という意味。
自分の中学校には、小学内容が不十分な生徒は「ほとんどいない」と言い切る中学校長は、
全体の2.3%しかいないという。

日本には義務教育では留年がなく、高校・大学でもほぼ留年しない「履修主義」が一般的。
一見、「留年はかわいそう」という生徒に優しい制度だが、
実力に満たない学生を社会に放り出し、学校側も教育成果を問われないから都合が良いという側面もある。

付けるべき力を付けないままの卒業証書は空洞化してしまうのではないか。



という内容でした。

進学実績を伸ばしたい高校側と、生徒を確保したい大学側の利害が一致し、
子どもに学びの機会よりも、卒業証書だけを与えてしまっている現状。
本当に深刻だと私は思います。

あまりに平易な定期テストを作成し、子どもたちに点数を取らせて推薦で有名大学に進学する。
もちろん、それが悪とは思いません。
高校の複雑な学習をすることが人生のすべてではありませんし、
その時間を使って、自分の情熱を注げる別の対象があるのであれば問題ないのですから。
ただ、問題なのは、本来必要な人にまで深い学びが提供されなくなっていること。
そしてそのツケが、本人のみならず大学や企業に課せられていること。

クボタのように、人材を育成する余力がある企業であればまだ良いのですが、
その余裕がない企業も沢山あります。
もしそうでない企業に就職してしまったら…

記事に載っていた「七五三」という表現はとてもドキっとしますね。
ただ、私の肌感覚としてもそのくらいという印象です。
今までも何度もお伝えしてきましたが、
小学校のテストでたとえ100点を取っていようが、実力の証明にはなりません。
そしてその子たちが高校生になってからだと、本当に苦労苦労の連続でしょうし、
先のような流れで問題を先送りにしてしまいがちです。

昨日の記事と通じますが、子どもの教育を根本から変えていかなければ、
日本の未来はないのではないかなと思います。
30年前と同じような教育をしていては日本は衰退するしかないのでは?と思いつつも、
自分が小学生、中学生時代と比較して、今の教育は何が変わったんだろう・・とも考えてしまいます。

「自分たちはこうしてきた、それでも何とかなった」は私は過去のモノだと思っています。
昨日も書きましたが、30年前の貯金のおかげです。

20年後の豊かさのために、また貯金を作り始めなければいけない時期に日本は来てるんじゃないの?
その一番の部分が教育であり、改革や資本投入をしていくべきところなんじゃないの?
と私は考えています。


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